夕方、いつもの停留所でバス降りた明代は、いつもの商店街を抜けてアパートへ向かう。郵便局の角を曲がるとローソンがある。入り口で高校生らしき集団がたむろしているのが少々じゃまになったが、とくに嫌な気はしない。いつも「レンジでチーン」の食事なのに、嫌な顔ひとつしないでおいしそうに食べてくれるクロを思い出しながら、スープやパスタソースのレトルトが並ぶ棚をながめていた。
明代とクロは、互いの愛を確かめ合ったあの日以来、毎日会っている。
中堅の出版社に勤めている明代の生活にとくに変化はない。ただ、つきあっていた好きでもないセクフレとは別れた。なのに同僚の女子社員たちは「最近、いい彼氏できたの?明るくなったし、きれいになった」と言う。もちろんその『彼氏』は紹介できないが、そう言われることはうれしかった。
昼間に気ままな自由を謳歌するクロは、夜の8時頃には明代のアパートへ向かう。辺りに誰もいないことを確かめてドアを前脚で二回叩くのが合図。二人だけの楽しい語らいと食事、そしてお互いが疲れて自然に眠りにつくまでの甘い密事。世間がなんと言おうと、二人にとっては最高の日々が始まって、もう一ヶ月経とうとしていた。
「なんだ、このおばさん。すごいえらそうなことを言うね」 テレビで有名な占い師がゲストの芸能人をボロクソに叩くのを観ていたクロがぼそっと言う。
「あなたってテレビすきね。それより、ほら、クラムチャウダー買ってきたよ。このまえこれ美味しいって言ってたから」
クロは画面の中で「おだまり!」という厚化粧の占い師に「バウ!」と軽く吠えるときびすを返してテーブルに向かった。
「いただきま〜す」 と、いっしょに言って晩餐が始まる。と同時に明代のおしゃべりタイムもスタートする。
「ねえ、聞いてよ。きょうね、デスクの猫山さ、あたしの記事をボツにしたんだよ。ほら、このまえ話したでしょ?市販ペットフードの味付けと栄養価についてのコラム。あれさ・・」
とまることなくまくしたてる明代の愚痴を、クロは笑顔で聞いている。時おり、「そりゃそうだ」「ほんとだねぇ」と相槌を入れるが、明代の考えを否定したり、疑問を投げかけるような語は一切発さない。
クロは人語を解し、明代と会話できるという能力をもっているが、「会話の内容」自体はそれほど重要視していない。明代が話す内容が、いや明代が話しかけてくれることで十分だった。愛する者が自分にだけ話しかけてくれて、それに答える言葉が理解してもらえる。これ以上に会話に何の意味があるだろう? 「好きな人とこうやって話しができて、どうして人間は喧嘩なんかするんだろう」といつも思っていた。
「ねえ?聞いてる?」 明代がクロの目の前で手を振った。
「聞いてるよ。それで?」
「あなた、いつもそうやって笑顔であたしを見ててくれるけど、頭の中では別のことを考えているんじゃない?・・・以前ほどおしゃべりしなくなったし」
「ん。別のことか。確かにそうだ。明代の話じゃなくて、明代のことばかり考えてる」
クロはそういうセリフを、お世辞でもなく全然照れることなく、素で言う。だから逆に明代が照れてしまう。
食べ終わった明代が、食器を片付けながら「ねえ、暖かくなってきたし、日曜に二人でどこかドライブ、そう、ピクニック行こうよ」
「うん。楽しそうだね。いこう、いこう」 優しい目でクロが答えた。
「うん。ピクニックには、ちゃんとお弁当つくるね。『チーン』じゃなくて、手作りで」
「明代が作ってくれるものは全部美味しいよ」
明代は食器を洗い終わると、濡れた手をエプロンで拭きながら、「きょうは早くお風呂入って、早く寝よう」と、クロの背を撫ぜた。
「仕事で疲れたのかい?」
明代は両手をクロの背に回し、キスを求めながらささやく。
「・・んと。きょうは、いっぱいほしいから・・」
「俺も」と、クロが舌を絡める。下半身は実に正直に反応している。
明代はそれを見て、軽く手を触れる、そしてキュっと力を入れると、
「さ!お風呂、お風呂!」といたずらっぽく体を離してバスルームへ湯を沸しに向かった。
「く。。その気にさせやがって」と言うクロは笑顔のまま明代を見つめていた。
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日曜。二人は明代の車で、アパートから10キロほど離れた高原へ向かった。近くにゴルフ場があるくらいで、ほとんど観光化されておらず、人家もまばら。時々道路わきに農家や、小さな祠のような『無人販売所』が見えるだけ。『無人販売所』には「ひとつ100円」と書かれた厚紙の後ろに土のついたままの野菜が並ぶ。それを見るだけで、この辺りが手付かずの自然に恵まれた場所だというのが分かった。
細い田舎道の脇に車を停めると、明代はシートと水筒を抱え、クロは弁当の入ったバスケットをくわえて林の中を10分ほど歩いた。遠くにゴルフ場の管理棟が見える丘に着いた。
「ほら、きれいなとこでしょ?まえにゴルフ場に来たときに見つけたの。好きな人ができたら一緒に来ようと思ってた」
「ほんとだ。街からそんなに離れていないのに空気がうまい。見晴らしもいいし、ほんとにいい場所だね」 野生の本能だろうか、広い自然の中にいることが、クロをいつもの紳士よりも解放的な性格にさせているようだ。
明代はクロを見つめたまま、ブラウスのボタンに手をかけた。
「あたしね、夢だったの。こんなきれいな自然の中で、生まれたまんまの姿になって、愛する人と結ばれるのが・・」
「うん。見せてごらん。明代を」 服を脱ぐ明代に飛び掛りたい衝動を抑え、クロはじっと見つめている。
裸になった明代は、恥じらいながら四つん這いになった。熱い想いが普段より大胆な行動をとらせようとする。明代はそれを自分で抑えられない。
「はしたない女だって思わないで。でも、だめ。ほしいの、すぐほしいの」
勇気を振り絞るように出す言葉に、クロが応え、明代の背後から抱きしめるように挑む。すぐに二人はひとつに結ばれ、クロが激しく律動を繰り返す。
「好きよ、クロ、こんなに、こんなに好き。もっと・・もっと中にきて」
明代の愛と、明代の膣内の温もりを感じているとき、クロの脳裏に、懐かしさと憎悪の混ざった感覚が走った。
『近くに野犬がいる。それも一匹じゃない』 そう思ったが、明代が不安がると思って声に出さなかった。そして明代を愛しながらも、警戒を解くのはやめなかった。
なにも知らない明代は、さらに高みにのぼり、自分を背後から突く愛しいオスに甘える。
「もっと・・もっとして。明代をあなただけのものにして・・」
明代の甘い声が誰もいない高原に響く。いや、誰もいないわけではなかった。ふたりから数十メートル離れた草むらに、荒い息を吐き、欲情の目でみつめる目があった。クロの勘とおり、それは数匹の野犬だった。
第一章「出会い」完
第二章「獣禍」へつづく。
純愛小説 明代とクロの物語 その10
作:akiyo