遠出から帰った明代とクロは、アパートのバスルームでくつろいでいた。
帰路、あの野犬たちのことも話し合い、明代は、しばらくの間はバス通勤をマイカーに換えることにした。「たかが野犬で」と思われるかもしれないが、明代はもともと大の犬恐怖症なのだ。クロだけは除いて。
洗髪を終えた明代が、クロが入っている浴槽に入る。アパートのユニットバスは「ふたり」も入ればかなり窮屈だ。
「じゃあ、俺、先にあがるよ」
「ちょっと待って」と、明代はクロを引きとめ、軽く絞ったタオルを四角にたたみ、クロの頭の上にかざした。
「おい、またそれか。やめろよ」
「いいじゃない。かわいいんだから」 明代はそう言うときれいにたたんだタオルをクロの頭の上にのせ、けらけらと笑い出す。
「あはは、何回見ても笑えるね〜。クロさ、入浴剤のCMとかに出れるよ。あははは」
クロの顔は、濡れたタオルで耳が垂れ、目尻も重みで下がってしまっているから、いつものきりっとした威厳がない。「いつもいつも俺の顔で遊ぶな!」と言っても、温泉でくつろぐオヤジのような風貌だ。前脚でタオルを取ろうとすると、さらにユーモラスになる。
「あ。商売繁盛の招き犬だ」と、明代はさらに笑う。
「もう怒った!」と、クロが口を開いて噛む真似で脅すと、逆に明代は顔を近づけ、その口を唇で受け止める。
長い舌を明代の唇に絡めとられてしまっては、抗いようがない。ほんの一ヶ月前に知り合ったばかりなのに、何年もつきあう恋人のような懐かしくて、切ない味が互いの口内に広がる。
湯当たりするほど長いKissのあと、互いの首を交差するように抱き合う。
「どうしよう。ほんとに大好き」 明代がクロの耳元で囁く。
「どうもしなくていい。俺も大好きだ」 クロが答える。
「あたしねぇ。すごい淫乱になった。なんか、いつでもくっついていたい。一日中、クロがあたしの中に入っていてもいいって感じ」 明代の片方の手は、クロのものを子供が大切なおもちゃを離さないように、つかんでいる。
7歳といっても、寿命から考えればクロのほうが精神的に「オトナ」なのだろう。甘える明代のされるがままになり、横顔をやさしい眼差しで見つめている。しかし、こうも握られると、やばい。昼間あれだけ愛し合ったのに、またもや「男心」が頭をもたげそうになる。
「アキヨ!」と、挑もうとしたとき、
「あ、韓国ドラマがはじまる!」と、いきなり立ち上がる明代。
「はいはい・・・。じゃあ、俺も今度こそ上がるね。あ、そうだ。アキヨ、ちょっとこっち来て」と、浴室を出ようとした明代を呼び止める。
「なあに?」
「これ」と、言ってクロは必殺の全身シェイキング脱水運動で、明代に水飛沫をお見舞いする。
「さっきのお返しだ」と、ちょっと得意げ。
「もう!・・・いつまでも子供ね〜。ほら、ドラマはじまっちゃう。早く早く」 明代は自分の体にバスタオルを巻きつけると、もうひとつのタオルでクロを拭いてやるのだった。
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翌朝、二人はいつものように、アパートの管理人や住人に見つからないように部屋を出ると、明代の車を停めてある駐車場へ。いつもは部屋を出ると正反対の方向へ別れるのだが、この日は用心のため、明代が車に乗るまでクロが付き添った。
辺りにあの3匹の気配はない。『よけいな心配だったかな。それならいいんだが』とクロはやや安堵した。
「じゃ、いってくるね」と、明代はウインドウを開けて、クロに投げキッス。
「ああ、いってらっしゃい。帰りも車でここまでくるんだよ。一応用心のため」
「はあい」
クロは明代を見送って、アパートをあとにした。
夕方、明代は車でアパートへ戻り、何も変わったことはなく部屋へ。『やっぱりクロの取り越し苦労だったなぁ』と思いつつ、夕飯の支度を済ませ、クロを待っていた。
午後9時を過ぎたが、ドアを叩く合図はない。いつもなら8時頃には来るはず。1時間以上遅い。明代は少し不安になったが、クロのことだから大丈夫だと自分に言い聞かせた。それに、こんな時間に外へクロを探しに出かけたら、そのことがよけいにクロを心配させるだろうとも思った。
「うん。あと1時間待って、それでも来なかったら車で探しにいこう」と、思っていたときにドアが鳴った。「コン、コン」と合図の二回。
「よかった。 あ、おかえり〜〜」とドアを開けた。と、そこには、かろうじて四肢で体を支えて立つ、血まみれのクロの姿があった。
つづく。
純愛小説 明代とクロの物語(獣禍編) その3
作:akiyo