翌日の夜、クロは明代にアパートに閉じ込められ、退屈をテレビで紛らわせている。3匹と戦った際の傷はたいしたことはなかったが、『傷が治るまでは外に出ちゃだめ』と、明代に釘をさされたのだ。
食事は用意してくれてあるし、トイレの使い方も覚えた。テレビのスイッチの入れ方やチャンネルを変えることなどわけもないのだが、お座敷犬のように狭い部屋に押し込められているのは
どうにも苦痛だ。時々窓の外の景色を眺めたりしていたが、すっかり陽は落ちてしまった。
『そろそろ明代が帰ってくる頃だな』と思っていると、ドアでノックのような音がする。
『明代はノックするはずがない。宅配便かなんかだろう。俺が出ていっていいはずがない。無視、無視』
ノックの後に続くだろう呼びかけがなく、再び叩くような音。
『なんだこいつ』と思って少しドアに近づいてみると、あの忌まわしい声がドア越しに聴こえた。
「おい、いるんだろ?」 あの3匹のリーダーの声だ。
『こいつら、とうとう明代のアパートを探り当てやがったか』 返事をすれば認めたことになる。放っておいてもしつこく付きまとうだろう、どうしたものかと、クロは悩んだ。
「ここがあの女の住処だということは分かってる。お前がここにいることもな…昨日は仲間が世話になった。おかげで一匹はしばらく歩けもしねぇ」
クロは意を決して答えた。
「それがどうした。もう一回やるか?二度とここには近づくなと言ったはずだぞ」
「いやいや、お前が強いのはよく分かった。それにお前には用はない。クックック」
クロに嫌な予感が走った。
「あの女な、俺らの言葉が分かるらしい。お前を捕まえていると言ってやったら簡単に騙せたぜ?いま、俺らの仲間のところにいるよ。あの女がどうなるか、分かるだろ?それだけを教えにきてやっただけだ。クックック」
明代が彼らに騙されるわけがない。冷静に考えれば、この挑発自体が策略だ。普段のクロならそれくらいのことは簡単に見破ることができたはずだった。しかし、明代の名を出されたとき、頭に血がのぼり判断力を狂わせた。チェーンロックを開け、外へ飛び出した。
「アキヨをどこへやった!言わなければ喉を噛み切る」
「クックック…まあ、そう慌てるなよ。いきがってないで、俺の周りをよくみてみろよ」
クロが目を凝らすと、暗闇の中にいるが1匹や2匹ではない。少なくとも10匹以上の目がクロを睨んでいる。
「この街にも人間を良く思っていない野良が多くてな、俺たちが声を掛けたら喜んで仲間になってくれたよ。どいつもこいつも、人間のメスってやつを一回抱いてみたいと…」と、リーダーが言い終わらないうちにクロが飛び掛った。クロの鋭い牙は、その犬の喉笛を的確に捉えた。
が、同時に何匹もの犬の牙がクロの首、四肢を捉えた。
首を噛まれているリーダーが苦しそうに言う。
「は、離しやがれ!こ、ここで暴れていいのかい?この数が相手じゃ、さすがのお前でも分が悪いだろう。大人しくついてくれば相談もできらぁ」
そうなのだ。いま、クロには選択の余地はないのだ。明代の身の安全を確認するまでは、彼らのいいなりになっているしかない。そうすればチャンスはあるかもしれない。怒りに任せていま暴れることには何の利もない。ようやく冷静な判断を取り戻したクロは、ゆっくりを牙を離し、『はやくその場所へ連れていけ』と、目で彼らを促した。
****************
午後9時。明代はアパートへ車を走らせていた。
『残業で遅くなったなあ。クロ、きっと退屈で死にそうなんだろうな』と、家に監禁したことを少し可哀そうに思っていた。
『でもケガしてるし、あいつ喧嘩弱いし、仕方ないよね。お詫びに大好物もたくさん買ったし』と自分を納得させた。
『包帯でグルグル巻きじゃ散歩も行けないし、欲求不満がたまってるだろうなぁ…』と思い、エッチなことを連想した。
『あの格好じゃ、しばらくできないぁ』と考え、『久しぶりにお口でサービスしてやろうかな』と思う自分に赤面した。
車がアパートの駐車場に近づいたとき、道路の中央に数匹の犬が飛び出し、慌ててブレーキを踏んだ。危うく轢くところだった。大丈夫かな?とウインドウから外を見ようとすると、犬の方からこっちを覗き込んできた。
そして”しゃべった”。
「おい。クロの女だろ?おまえ」
明代は驚いて犬の顔を見た。あの3匹のうちの1匹のような気がする。
「やっぱりそうだ。分かるんだろ?俺らの言葉が。クロお前がと交尾してるとき、話してるのを聞いて分かったのさ。お前が犬と話せるってね」
「そ、それがどうしたの。あなたたちには何の用もないわ。そこをどいてちょうだい」 明代は強く口調で言った。
「そう邪険にするなよ。ほら、これが何か分かるだろ?」
その犬がくわえているのは、血の付いた包帯だった。
「俺ら野良には用のないものだ。この白い布っきれを体に巻いてた奴が、いまどうなっているか、知りたいかい?」
『クロが彼らに捕まっている。優しくて、喧嘩の弱いクロが』 明代の目の前を暗雲が覆う気がした。
「クロをどうしたの?クロはどこ!?」
「心配かい?安心しな、殺したりしてないから。とにかく俺らについてきなよ。クロに会わせてやるよ。話はそれからだ」
明代には、もう自分の安全を図る余裕などどこにもなかった。クロの身を案じるだけことだけが心を支配していた。車を降りるとドアを閉め、ロックすることさえ忘れて彼らについていった。
つづく
純愛小説 明代とクロの物語(獣禍編) その5
作:akiyo